気付いた時にはもう遅く。




止める術も知らず、その権利もなく。




逢いたいと願う事すら罪に思えた。






後は風に散るばかり












神奈川県警捜査一課の益田龍一が辞職した事を知ったのは、偶然だった。






は神奈川県警交通課に勤務する婦警である。

婦警、とは名ばかりで要はお茶くみ、雑用係。

女性権利拡張運動・女性労働権利運動などに湧き立つ世間の面目上、数年前から女性警察官が採用されたがその地位はまだまだ低い。

だが自身はそれを特に不満にすることもなく、黙々と雑用をこなしていた。







そんな時同僚から聞かされた、益田の辞職話。


益田龍一は男社会の警察の中で珍しくいばりくさる事も偉そうに命令することもしない刑事だった。

上司の石井警部などは大層踏ん反り返って婦警に命令ばかりしていたが、益田はお茶を入れれば礼を言い、仕事を頼む時も至って礼儀を忘れない。

容姿も良く、彼は裏で婦警に絶大な人気を誇っていた。無論、も例外ではない。

但し事情は他の婦警とは少し違っていた。益田とは所謂幼馴染という奴である。







戦後十年余り―――職場で生き別れた幼馴染に再会した時は心底驚いた。

それから二人はどちらともなく誘い合い、一緒に呑むようになった。

その頃からは益田に想いを寄せていたのである。

なのに。







「一言くらい言ってくれればいいのに」







相談して欲しいなんて厚かましいとは思うが、報告ぐらいはあっていいと思う。

それ程余所余所しい仲ではなかったはずだ。

それともそれは自分の思い違いだったのか――――












「龍ちゃんの馬鹿」




今はもう決して呼ぶことのなくなったあだ名。

けれど返事はなく、は書類の山の中で深い溜息を付いた。





会いに行く勇気なんてとてもなく、会った所でどうしたら良いのかも思いつかず。






想いを告げるなどもっての他で。







気恥ずかしいなんて思う程若くはないが、今更、というのが現状。

結局十年越しの想いなんて何処にも行く場所なんてない。






















「――――出張?」


は部長の顔を見て呟いた。

いきなり回線で呼び出されたと思ったら、これである。

どうもこの部長の話は要領を得ない。

官僚らしくゆったりとした椅子に身を沈めながら、部長は一つ咳払いをした。



「そんな大層なものじゃない。警視庁で婦警が足りないらしくてな。
まぁ、婦警の採用と言っても、地方じゃあまり浸透しとらんようだし、あちらさんも人手が足りんらしい。
その上条件が武道を嗜むものだからな。こっちでもその条件に見合うのはお前さんくらいだろ」


確かに婦警とはいえ、は警察官の一員だという自覚を持って働いている。

その為婦警では珍しい武術・護身術の習得者でもある。




「武道・・・何するんですか?」

「大規模な麻薬組織狩りだそうだが・・・娼婦の中に頭と思われる男の女がいるらしい。
まぁ潜入捜査って奴だな。数人の婦警を娼婦に化けさせてその頭や周囲の連中の様子を探るっちゅーことだ。
武道を嗜むのが条件ってのはいざ男に襲われそうになっても、自力で逃げられるように、ってことだろう」


書類を横目で見ながら、部長は坊主頭を掻いた。


「それはまた・・・・なんとも無責任な話ですね」

「まぁ、そう言うな。一人の婦警に一人の刑事が張り付くようだから心配いらんよ。
お前さんは度胸もあるしな。行ってくれるな?」

「はぁ・・・・・まぁ・・・・・」




警視庁からの要請、部長から直々の命令とあれば、逆らうことなど到底出来ない。

「まぁ、帰りに新宿辺りで遊んで来い」と気楽に言う部長に一礼して部屋を出る。

明日から、という先方の急な申し出により昼間にも関わらず、は県警を後にした。
















翌日。

家で適当な荷物をまとめて、は東京へ来ていた。

警視庁の受付で用件を告げると、担当の刑事が来るのでと、応接室に通される。

そこは装飾もない、窓だけのまるで取調室なような陰気な場所だった。

元は本当に取り調べ室か何かなのかもしれない。

この部屋には不釣合いなダイニング風の椅子に腰掛ける。







「おう、待たせたな」

コン、と一つノックがされて顔を出したのは、四角い顔の大男だった。

「神奈川県警のです」

とりあえず一礼する。

特に気にしたようでもなく男は取り出した煙草に火を付け、座れと促した。

もう一度頭を下げて椅子に座ると、真向かいに男も座る。

「捜査一課の木場だ。捜査内容は聞いてるな?お前ェさんとコンビを組むことになった」

「――――捜査一課・・・ですか?」


捜査一課は言うまでもなく殺人課である。

麻薬関係は麻薬取り締まり班、もしくは生活安全課の仕事だ。



こちらの疑問の意図が分かったのか、木場刑事は煙草の灰を落しながら言った。

「ああ、俺も助っ人だ。余程人員が足りねェらしいな。
ヤクザもん相手だから腕っぷしの強ェ奴が呼ばれたんだろうよ。
お前ェさんもそうだって聞いたが、そうは見えねェな」

「一応護身術と空手を習ってます」

「実際に人を殴った事は?」

「暴力的対応に出られた時にはそれなりの対処をしています」

「度胸もありそうだな。ま、一つ宜しく頼むぜ」




短くなった煙草を揉み消しながら、木場はこの場で初めて笑った。

風貌も言葉遣いも性格も、まさしく刑事と言った感じだ。






(龍一とは大違いね・・・・・)



















一時間後、何名かの婦警と合流して、用意された服に着替えた。

一体何処からこんなものを調達してきたのか、と思うほど派手な衣装と装飾品がずらりと並べられている。

婦警達は思い思いの衣装やアクセサリーを手に取り、ここぞとばかりに派手な化粧をしている。

は出来るだけ地味な服を・・・とダークレッドのスーツとブランド物のバックを手に取った。

それでも普段の自分から見ればかなり派手である。







「・・・・・中々良く化けたじゃねぇか」






更衣室から出ると、木場と他の婦警とコンビを組む刑事が何名か待っていた。

木場はの姿を認めると何本目かの煙草をふかしながら意地悪に笑った。




「あまりこういう格好はしたことないもので」




短すぎるスカートを押さえながら、木場を見上げる。

周囲の婦警らに比べれそれほど派手な化粧もしていない。





「似合ってるぜ。ま、少なくともフラメンコみたいな連中よりはな」




そう言って一人笑いを噛み締める木場。

フラメンコ、という単語が他の派手な婦警らを指していると分かるのに数秒を要した。



「やだ・・・木場さんたら。聞こえますよ」



笑っては悪いと思いながらも笑ってしまう。

気が付くとポツポツと皆外へ出始めていた。もう日が暮れる。



「俺らも行くぞ」

「何処へですか?」

「俺らの担当は・・・ちっ、浅草だな」


突然不機嫌そうに舌打ちをした木場に首を傾げる。

浅草・・・・最近観光名所になったらしい地名だが、木場の不機嫌の理由は分かるべくもない。



「まぁいい・・・行くぞ」













真新しい地下鉄を乗り継いで、二人は浅草の雷門の前にいた。

浅草の観光の目玉として、極最近売り出し始めたものである。

その中央通りをは木場の右手に縋りつくように手を添えながら歩いている。





「あの、・・・木場さん」

「なんでぇ」

「どうして腕組まなきゃいけないんです?」

「設定がヤクザもんとその女のホステスだからだろ」

「はぁ・・・・なるほど」







木場は今派手な柄のシャツにジャケットを羽織り、サングラスをかけている。

どう見ても堅気には見えない。これで警察官などと誰が信じよう。

初めて会った時には気付かなかったが、こうして見るとかなり男前の部類に入る。

がっちりとした体格に20センチ以上差のある身長では腕を組んでいるというより、引きずられているようでもある。






「それでこれから何処へ―――「おい、木場修じゃないのか!!」





行くんですか、という言葉は何者かによって見事に遮られた。

振り向くと、今まで見たことのないような美丈夫が腕を組んで立っている。

木場は不機嫌そうな顔で相手を睨みつけ、サングラスを取った。






「だから浅草なんざ嫌なんだよ。手前ェもフラフラしてんじゃねぇ!」

「ふん!浅草は僕のお膝元だぞ!僕が居て何が悪い!木場修こそなんだそのふざけた格好は!四角い顔でサングラスなどかけて、借金取りにでも転職したか!」

「煩ェよ。こっちは仕事中だ、邪魔すんじゃねぇ。和寅・益田、さっさとその馬鹿飲み屋でもなんでも連れて行きやがれ」



名を呼ばれて美丈夫の連れらしき人物がその背後から顔を出した。

一人は気の弱そうな青年で、一人はよく見知った顔だった。






「嘘・・・・」

・・・・?」








無意識に木場の腕をにしがみ付いた手に力が篭る。








「どうして木場さんと―――・・・・」





何も疚しい事はない。それなのに。

眉を顰めた益田には視線を逸らした。









後編